音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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日本人補習校の運動会 

きのうは娘が通う日本人補習校の運動会でした。大学の芝生のグラウンドを借りて行いました。

補習校の運動会では、保護者がかなり運営にかかわっていて、我が家は二人三脚の担当でした。徒競走、玉いれ、棒引き、パンくい競走、綱引き、リレーなど、まさに日本と同じような競技をアメリカで経験させてあげられるのがうれしいものです。でも、怒鳴っている体育の先生はもちろんいないわけで、軍隊チックな要素は皆無。やっぱりここはアメリカだなぁと強く感じました。

面白かったのはリレー。小1から高3まで全員が走ります。全員で100人ぐらいしかいないので、可能なんですね。リレーだけは、休み時間にバトンの受け渡しを練習していて、うちの娘も出場しました。

途中、ある男の子が走っている最中に靴が脱げてしまい、靴を拾ってはきなおし、また走っていたら、また脱げてしまい、今度は靴をはきなおさないで、靴下のまま走っていきました。日本だったら、ため息のひとつや「頑張れ」の掛け声が起きそうな場面。保護者たちは、確かに「がんばれ」とはらはらしながら見守っていましたが、生徒たちは、あまり気にしていない、気がついてもいない様子でした。リレーに対する悲壮感が、ぜんぜんないのです。

運動会が終わってから、娘には、こんな話をしました。

日本ではね、リレーっていうのは、クラスの30人ぐらいの中から、足が速い6人ぐらいが代表に選ばれて、他のクラスと競走するの。特に、リレーの最後の人はアンカーっていってね、一番速い人がなるの。それまで負けていても、アンカーさえ速ければ、逆転して勝っちゃうこともあるからね。

リレーの選手っていうのは、責任重大なの。誰かひとりでも走っている間に転んじゃったら、そのあいだに全部抜かされて、そのクラスはびりになっちゃうのよ。だから、代表に選ばれた子は、バトンを落とさないように、選手だけ残って、放課後に一生懸命練習するの。リレーには補欠っていうのもあって、誰か選手が走れなくなったら、補欠の人が出るの、でも、誰も具合が悪くなかったら、補欠は走れないの。

みんなの代表だから、リレーの選手は責任重大なんだよ。でも、いくら練習しても、バトンを落としちゃったり転んじゃうことは時々あるんだよね。そういうとき、本人が泣いちゃうこともあるし、それをまわりがしょうがないよってなぐさめることもある。意地悪い子は、お前のせいでうちのクラスが負けたんだっていじめたり、かげで「誰々ちゃんが転ばなければ」って文句を言うこともあるんだよ。文句をいったりいじめるのは絶対にいけないことだけれどね。

補習校の運動会では、誰かがバトンを落としても、転んでも、あまり気にしていないよね。でも、日本に帰ったら、そんなふうに甘いもんじゃないんだよ。

私の話を聞いていた娘は「ふう〜ん」と興味深そうにしていましたが、結局いまいちピンときていないようでした。

この前、娘が平日に通うアメリカの小学校でマラソン大会があったときも、その楽しさに驚きました。トラックがきちんとあるわけではなく、学校のまわりをなんとなく走る。本部のテントには音響設備からがんがんロックが流れていて、応援に来ている保護者は、走っている子どもに水スプレーをかけてあげて、歩いても走っても別によく、記録もとらず、親どうし、「何周走れた?」「うちは6周」「うちは7周。走ってたのは最初の2周ぐらいだけど」「うちもそうよ」といった具合に話しています。順位だのタイムだのは誰も気にしていないしわからない。元気に体を動かした、楽しい1日。

悲壮感のないアメリカ的なスポーツイベント、いいなと思います。もちろん、アメリカでも野球チームなどに所属して本気で勝利をめざしているグループに入ったら、もっとシビアで、違うのかもしれません。

ただ、自分の子どもが、日本の運動会のクラス対抗リレー的のときに起こるいろいろな気持ちを、知らないし理解できないまま大人になるとしたら、それは日本人として寂しいなと思います。箱根駅伝を見ながら「タスキがわたらないっ」とアナウンサーが叫ぶのはなぜか、まったく理解できなくなるかも。

やはり、日本に帰って日本の学校に行くようになって、はじめてわかることがたくさんあるのでしょう。逆に、帰国子女でアメリカ暮らしが長いまま日本の学校に来ると、こういうことが限りなくうっとうしく、理解できず、なじめないのかも。

運動会を通して、アメリカにはあまりなくて日本では当たり前の感覚があるのだと、またひとつ気づかされました。