音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

セミナースケジュールはこちらです。 山本美芽オフィシャルサイト

知識をオープンにするのか、しないのか

フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656)
フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656)
梅田 望夫, 茂木 健一郎

梅田さんと茂木さんが対談しているこの本、しばらく前に買っておいて、最近読み返しはじめたら、線を引きたいところだらけで真っ黒になりつつあります。

梅田さんも茂木さんも、いま超売れっ子の書き手なんだけど、この本をよくよく読んでみると、たとえば学会だの大学だのといった従来の学問的権威とは外れたところに自分がいるんだ、という良い意味での疎外感を強く感じていることがわかります。

私の大学院時代の友達の何人かは研究者になって教えているし、私自身も学会にまじめに通っていた時期もありつつも、「ここも面白いけどなんだか私の居場所じゃない」という気がしてライター業に来てしまったわけです。

茂木さんはこう発言しています。
「自分だけがあるインフォメーションを持っていることは自らの権威につながる。日本の学者はそれによって生きてきたわけです。ヨーロッパからいち早く知の先端を輸入する。それが自分たちの権威の源泉になる。それによって自分たちが獲得した人事権、学位授与権をもとに、そのサイクルを再生産しつづける。そのような世界を理想とするのか、それともすべての人に公平に開かれた世界を理想とするのか、という人間観の差は大きい」(同書42ページ)

長い間感じていた微妙な違和感のひとつが、まさにこれ。

自分だけが知っていて、それをバラさないほうが権威が保てるんですよね。

音楽ライターや音楽評論家の世界でも、それに近いことは充分あるわけで。

しかしインターネット時代になり、ブログが登場して、あらゆる情報がどんどんオープンになり、既存の権威が相対的に弱体化しつつある。

私の場合、役立つ情報ならば、どんなものでも惜しまずオープンにしてみんなと共有したいというのが本能的な衝動としてあるわけで、おそらく書く原動力はそれなんだと思います。

こうやってブログを書いたり、なんでもかんでもオープンに書いてしまう自分の体質って、物書きとしては損なタイプなのかな〜と時々思いつつも、「いや、知っているのに出し惜しみするのは気持ち悪い」という気持ちが勝ってしまう。この葛藤を、梅田さんも茂木さんも同じように味わっているのか、という不思議な共感をこの本から感じました。

ほかにも、音楽や教育の世界に通じる言葉がいっぱい。

「筋が良いけどまだ小さい芽に対して、欠点をあげつらって近視眼的に叩くようなことを言えば、言っているとき少し利口に見えます。でもいずれ必ずしっぺ返しを喰う」(梅田さん)

「子どもだったら、何かをしたときに親にほめてもらえば、うれしいと感じて、そのふるまいをもっとやろうとする。ウェブも、そうした承認欲求につきうごかされていると思うんです」(茂木さん)

「アマゾンやeベイだったら、小売・流通のしくみが壊れるとか。ユーチューブだったらメディアが壊れるとか。壊して何かをやろう、あるいは壊して新しいものを想像しようということとインターネットの性質はイコールなんです」(梅田さん)

 そうそうわかる、わかる。
 ブログを書いているピアニストやライターやピアノの先生って、このへんの感覚がすごく通じ合えるものがあるんです。逆にいえば、ブログを書いていないピアニスト、ライター、ピアノの先生にアプローチするときには、こういう感覚ってわかってもらえないかも…という前提でどこか切り替えている部分があります。

 もちろん、既存のメディアである本や雑誌とおつきあいして仕事をもらってこれまでやってきたわけですが、そうした既存メディアをぶっこわす方向に向いたウェブ世界のオープンさからは絶対に抜けられない確信が、私の中にある。

 とても書き表すのが難しい微妙な二律背反なんですが、フューチャリスト宣言を読んでいると、なぜかすーっとそれが整理されていきます。

「みんなが興味を持っていることに野次馬的な関心を持っている人は資質が高いですね」(茂木さん)

「無限に広い地図のなかから、自分が行くべき道を探し得る能力があるということですね」(梅田さん)

 音楽の分野でもまったく同じことがあります。あらゆるジャンルにいま音楽は細分化されていて、楽器だっていろんなものがやまほどあって、クラシックのピアノがうまくできなくてもだから何よ? といえる世の中になっている。パリ音楽院の相対的な地位を考えても、19世紀と21世紀の今では比べ物にならないぐらい世の中への影響力というか、権威が相対的にさがってしまっている。

 これからは、無限に広い音楽の世界から、自分の行くべき音楽の道を探していく力が大事になっていくのでしょう。

 フュージョンという音楽分野では、面白い音楽、素晴らしい音楽ならなんでも取り入れちゃおうというところがある、というか、そうした試行錯誤そのものがフュージョンの歴史でもあります。そうしたスピリットから成り立っている音楽だから、私はフュージョンが好きなのかもしれません。