千住家にストラディヴァリウスが来た日
千住 文子
ピアノを教えるようになってから、「アップライトを買う」というと、金額が大きくて、それだけでピアノに対する敷居がものすごく高くなるのだなぁと痛感しています。そもそもマンションやアパートずまいであったりすると、ピアノを置けない場合だって多々あるわけで、ピアノをおくために引越しやら一戸建ての購入をしなければならなくなる。どの程度の才能があるのかもわからないのに、そこまでピアノに過剰投資をされて、ピアノを買ったのだから練習しろと親にぎゃんぎゃんいわれても子どもは迷惑かもしれないし。
かといって、たとえば、ドビュッシーやらベートーヴェンやらショパンといった曲を電子ピアノで弾いても、非常にむなしいですね。結局、音をいかに鳴らすか、という音楽の核心部分が何もできないのですから。弾かないよりはマシですけど。
もちろん経済的に許すならば最初からアップライトを買うのがいいと思いますが、そこまで思い切れないご家庭のほうが多いでしょう。いったいどこでピアノ購入に踏み切るかが問題となりますが、うーん、やっぱり両手でメロディと伴奏が弾けるようになったら、買ってあげても損はしないんじゃないかなぁと思います。バイエルでいえば、上巻終了ぐらい?
電子ピアノで頑張ろうという人には音楽を続ける資格がない、みたいなことを言うつもりはないんです。それに、あまり向いていない子にアップライトを与えなければならないのかは、疑問です。もちろん、電子ピアノには見向きもしなかった子だってグランドピアノだと目を輝かせて弾く、なんてことはいかにも起こりそうですが。とはいっても、もともと興味を持っていない子がグランドピアノを与えたからといって突然ピアニストになれるかというと、それは厳しい。本人の伸び具合ということでは、楽器にかけたお金と実力が比例する面はありますが。
楽器にかかるお金って、楽器の材料であったり、職人さんの手間のかけぐあいだったりするので、いいものが高いのはある意味仕方ない、ある意味で正しいことです。
だけどアップライトをぼーんと購入するほど子どもの音楽教育にお金をかける家がどれだけあるのか…。かくいう私も、もうすぐ渡米1年になりますが、日本から持ってきた電子ピアノでまだ我慢しています。今度買うピアノは、一生使うであろうものなので、妥協できなくて。
楽器とお金。はぁ〜。なんて思っていたところに日本から届いたこの本! ヴァイオリニストの千住真理子さんが何億円だか知りませんが、ヴァイオリンのストラディバリを自腹で買うまでに至るお話をお母様の文子さんが書いたものです。
千住さんぐらい有名な演奏家だったら1億円ぐらい出せるんじゃないの? と思ってましたがとんでもないんですね、やっぱり。そりゃそうかもしれません。数百万とか1千万じゃないですから。億、ですから。
なんで「億」のヴァイオリンじゃなきゃだめなのかと素朴な疑問を持っていましたが、文子さんの文章を読むと、うーんそうか、やっぱりストラディバリは、一生かかっても返せるかわからない借金をしょってまで手に入れる価値があるもので、真理子さんにはどうしても必要なものなんだと納得してしまいました。
演奏家だって億単位のお金ー生涯賃金のうちの楽器係数がいったいどれほど高いのか想像もつきませんがー、それを注ぎ込んでいるわけです。
お金がないという言い訳はいくらでもできますが、やはり楽器にお金をかけるのは、とても大事なことで、そこをケチっては超えられない壁があるのです。楽器の値段とは、職人さんがかけてくれた手間や集めてくれた材料に対するお礼であり、愛情の量を表しているとさえいえるのですから。
もちろん、商品として流通するための経費などが愛情なのかといえば、疑問ですけど、基本は「美しい音に対する手間ひま」が楽器の値段だと思うべきではないでしょうか。