音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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ピアノ講師、実家と夫のサポートがなくなった場合

前回おたよりを掲載したA先生ですが、続きのお便りが届きました。

状況は、前回のお便りよりも、ずっ深刻でした。

実家や夫のサポートなしでピアノを続けることは、容易ではないと、気づかされます。

それと同時に、生徒が集まるような魅力的なレッスンさえできれば、好きなように生きていく自由も手に入るということ。

 

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音大ピアノ科在学中、なんとなく過ごしていくうちに、2年生になったとき、地元で楽典を習っていた先生が結婚をすることになり、生徒さん10名を任されてピアノ教室を開講することになりました。

 
毎日、片道2時間以上かけて通学し、授業が終わるとコンパやサークルには一切参加せず、家に帰ったら即レッスンという大学生活を送りました。当時のピアノ教室で何の努力もせず生徒が集まってきて、楽器も実家に当たり前のように揃ってあり、それが普通だと思って 独身生活を過ごしてまいりました。
 
28歳になったとき、私の同級生は出産ラッシュに入っていました。
そんな中私は結婚相手がいないことに焦り始めました。そして、レッスンの傍らコンビニでアルバイトをしてましたが、そこで今の主人と出会いました。
 
主人は遠くの県から長期出張で来ていました。
結婚に焦っていた私はあまり冷静でなく、とにかくこの婚期を逃してはいけないと思い、わずか3か月ほどで結婚を決意しました。両親は猛反対でした。夫は、高校を1年で中退をし、十代で家出をし、土建業で働いていました。あまりに私の 育ってきた環境とは違いますが、そんなことが結婚生活に影響を及ぼすとは、考えもせず両親の反対を押し切って、家出同然で強行突破しました。このような結婚に、親族一同、友人、誰一人祝福してくれる人はいませんでした。両親には、「二度とうちの敷居を跨ぐな」と勘当されました。
 
当時主人の会社は景気もよく私が働かなくても十分食べていけれるだけの給料があったので私は結婚に踏み切り、二度と実家にには戻らないつもりで、レッスンをやめ、実家とは遠く離れた夫の勤め先の近くに引っ越しました。
引っ越し先は小さなコーポでしたので、グランドピアノ、アップライトピアノ、ドラムセットなど、すべて実家に置いたままで、持ち出すことはできませんでした。唯一持ち出せれたのはヤマハの電子ピアノと楽譜だけでした。
 
すぐに妊娠し、子供が生まれピアノにあまり触れることなく毎日が過ぎてゆきました。子供がうまれ、夫の態度が変わり、私に対し大声で怒鳴りつけたりすることも出てきました。こんなはずではなかったと後悔しつつも、実家には戻ることができないので、そのまま生活を送りました。長男が生まれて1歳になったとき、同じ市内で夫名義のローンを組み、一戸建ての住宅を購入しました。
 
ピアノを置けれる環境が手に入り、ピアノが弾きたい気持ちが次第に強くなってきました。まだまだ子供に手がかかるので 、十分な練習時間の確保はできませんでしたが、電子ピアノであってもピアノを弾けれる環境がとても幸せだと思いました。
 
夫とは何度も怒鳴りあいの喧嘩は続いていました。大きな声をあげたりものに当たって大きな音を立てるので、だんだんお願いごともできなくなり、子供にたいする暴力もあり、気持ちはすっかりなくなりました。
 
次女が生まれ、幼稚園に入学したころ、やっと自分のまとまった時間が取れ始めたのをきっかけに、中古でアップライトピアノを購入しました。中古でしたが、やっとピアノが弾けれる環境が整ったことに、心から幸せに感じました。それまでは、両親がレッスンには好きなだけ通わせてくれ、グランドピアノもアップライトピアノも買いそろえて
くれたことを、当たり前のように享受してきました。
 
一度結婚を機に、レッスンの生徒、楽器、練習する時間、すべてを失い音楽ができる環境があたりまでなかったことに、初めて気づかされました。
 
ピアノを購入したことにより、少しずつ生徒さんが入会してくれ、レッスンが出来ることに喜びを感じ、多くある教室から私の教室を選んでくれたことに、とてもありがたく思いました。私の教室に通ってくれる生徒さんのために、良いレッスンを提供したい気持ちで、自分自身の練習も懸命に取り組み、勉強にも 時間を惜しみなく使いました。
 
ゼロから始めた教室ですが、生徒さんが5人に増えた一昨年の秋に、主人が会社を首になりました。その数日前、「パパは会社で喧嘩をしてきたんだと」と誇らしげに子供たちの前で笑いながら話していましたが、子供も私も呆れぎみで、聞いてました。その喧嘩が原因で解雇されることになりました。
 
すぐに新しい職場は見つかりましたが、手取りで給料は10万円減り、生活は苦しくなりました。私は音楽とは全く関係ないパートの仕事を午前中していましが、午後15時までに引き延ばして働くことにしました。職場までは4キロほどあり、自転車が通っていたので、パートから帰っ てきては、バタバタでした。真っ先に晩御飯の準備をし、16時からはレッスンでした。夫は17時過ぎには家に帰ってきますが、家のこと、子供のこと、一切何も手伝ってはくれませんでした。
 
生徒は順調に増えてき、昨年は7人も入会されました。主人とは口を利くこともなくなり、顔をあわせることもだんだん避けて、家庭内別居状態が1年を過ぎました。
 
パートでは毎月9万近く稼いでいましたが、それはいずれ離婚するための資金として貯めてきました。最近では夫は毎日帰宅が遅く、飲み歩いているようで、家計にまで手を出して自由な生活を送っています。
 
ずっとパートとレッスンは掛け持ちして 働く予定でしたが、年末重いものを運ぶ仕事でしたので、腕を痛めてしまいピアノが弾けれなくなってしまい、年末に退職しました。
 
やめてお金は減りましたが、時間にゆとりができたことで、子供たちと向き合う時間も確保でき、レッスンに対しても十分な準備と、勉強をする時間もできました。
 
今では夫が家計にまで手を付け毎月赤字運営です。私のレッスンで稼いだお金が生活費で消えていってます。夫に対し、情もなにも無いのでいずれ離婚を考えていますが、現在のレッスンの生徒数10人あまりでは、食べていくこともできず、家を出ることもできません。音楽とは全く違う仕事、食べていくためだけの仕事も 考えましたが、それでいいのかと考え込みます。喜んで私の教室に通ってくれている生徒さんたち育てることに、大きな喜びと生きがいを感じてます。音楽こそが私の天職だと思って向き合っています。
 
そんな音楽で食べてくことのむつかしさ、レッスンをすることの喜び、このふたつがぶつかって、苦しくなることが多いです。夫の使い込みが激しくなり、私の収入だけで補いきれなくなったとき、また私は音楽も生徒もすべて失ってしまうことになる、という恐怖があります。
現状はこんな感じです。家を出ていく力もないし、生活を支えていけれるだけの仕事をできる能力があるわけでもなく、音楽とレッスンが生きがいで、それがいつ崩れるかわからない不安と恐怖、少しずつでも入会がある希望とが複雑に絡み合ってます。
 
とりあえず今は、家を出るとか、破産してしまうとか、あまり意識を向けない よう、レッスンの生徒数を増やすための工夫に全力で取り組んでいこうと毎日奮闘してます。
 
大好きな音楽で食べていくこと、本当にむつかしいです。
 
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力になれずに歯がゆいですが、ぜひ似たような経験をされている方、過去に似たような経験をして解決したかたの事例をお寄せいただければ、何らかの役にたてるのではないかと思っております。
 
 
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