オクターブの連打は、ピアノのテクニックのなかで、もっとも難しく華やかなもののひとつです。
私は、英雄ポロネーズに出てくる2ページ以上にもわたる左手オクターブ連打なんて、手が小さくてパワーもない自分には無理だと思っていました。
でも、ここ数年のさまざまな取材を経て、「オクターブはパワーじゃなくて、オンとオフの切り替えのスピードで弾くものなんだ」とわかってきました。
オンとはつまり一瞬緊張させること。オフは力を抜くことです。
つまり、ある場所からある場所へ、手を「動かす」のではなく、一瞬緊張させて、すぐに力を抜いてだらっとさせ、緊張したときの反動に手をゆだねる感じです。
この動作、ボールのドリブルするときには、みんなやっていることなんですよね。ドリブルするときに、ずっと腕を硬直させていたら、やりにくくてしょうがないし、ぎこちなくなってしまう。ボールをつかんで、一瞬地面に向かって力を加えるけれど、すぐに力は抜くはずです。
最近少しピアノを弾く時間ができたので、このオクターブ連打を含めて「英雄ポロネーズ」を練習しています。オクターブ連打の場所はまだまだゆっくりですが、結局、それは腕力が足りないというよりも、「緊張→ゆるめる」の切り替えが、あのテンポでできないことが問題なのだとわかってきました。
この感じがわかったのは、ニキタ・ユジャニン先生のレッスンを受けたこと、ドラムのレッスンに通って大ぶりのモーションでスネアを叩く練習をして手首を鍛え、腕や反発力の使い方を覚えたこと、さまざまなピアニストの話を聞いたこと…など、さまざまな経験があってこそです。
世の中には異様に指がまわる人がいるものです。昔、あれは運動神経がいいんだとか、筋力があるんだとか思っていたのですが、いまは「オンオフの切り替えが猛烈に速くできる人なんだな」と思うようになりました。
そして、この感覚を文章をとても親切に説明してあって、トレーニング方法も載っている本が、御木本澄子先生の「正しいピアノ奏法」です。
正しいピアノ奏法―美しい音と優れたテクニックをつくる 脳・骨格・筋肉の科学的研究による革新的メソッド
御木本 澄子
たとえば、オクターブの打鍵について、この本にはこんな記述があります。
「オクターブの打鍵では1の指と5の指をしっかり開いて、固定したまま手首の不必要な力を抜いて打鍵することが大切なのです。そのためには、直径およそ1cm、長さ14cmの棒を1の指と5の指で支え、手首を柔らかく動かすトレーニングをします」
ちょうどオクターブぐらいの長さのサインペンがあったので、これを1と5の指で挟みながら、手首を自由に動かそうとすると、これがなかなか難しいのです。
これは、さきほど書いた、オンオフの問題とは別に、オクターブの鍵盤をリラックスした状態でしっかり掴むための練習なわけですね。
筋肉の状態や体の使い方は、発声といっしょで、体の内部の話ですから、見ることができません。したがって非常に感覚を研ぎ澄ませないと自分がどうなっているのかもわからないし、人に教えるのも難しいのです。
まずはピアノを弾くときに自分の筋肉のどこが、いつ緊張しているのか、していないのか、を考えることが大切で、それとともにこうした本を読むと、大変ためになると思います。