ときどき読者の方からご相談メールをいただきます。
コンクールでけっこうよく弾けたのに、全国大会に行けなかった、行くにはどうしたらいいのでしょう?
私はコンクールの専門家でもなく、コンクールに出た経験もなく、息子はピティナの予選に2回出て本選には行ってないという程度の経験ぐらいです。ただ、長年、コンクールの勝者でありさらにその中から生き残ったプロの音楽家の方にインタビューはたくさんしてきたので、コンクールの勝者でさらに生き残った人はどういうふうなのかは、ある程度知っています。
で、コンクールの勝者になるにはどうしたらいいか。
難しいです。
こうすれば100パーセント行けるというような方法はもちろんありません。
たとえば、違う先生のところに行って演奏を聴いてもらい、セカンドオピニオンを聞くとか、特定のコンクールでしたら、そのコンクールの審査員をいつもしている先生のところに習いに行くなども、ある程度の効果はあるかも。ただ、そうすれば望む結果が得られる保証は、もちろんありません。というか、安易に保証するのは無責任じゃないのかな。
「上に行きたい」真剣にやっていれば、当然思うことですが、
危険信号と、隣り合わせです。冷静になってみてもいいかも。
「上に行きたい」ではなく、課題となっていた曲を、どう弾けばよかったのか。自分の演奏を向上させるために、どんな可能性があるのか。自分に足りなくて、もっと吸収すべきことは何か。
レッスンで「こうしなさい」といわれ、その通りに弾く素直さは大切です。しかし「どうしたい」「どうなりたい」ということを自分の耳でとらえる作業抜きに、先生のいわれるがままに従うのでは、永久に自立できないし、先生のコピーになってしまいます。
コンクールで納得いく結果がでなかった、ではなく、コンクールで納得いく演奏ができなかった、という捉え方にまず変わってほしい。
アスリートやミュージシャンのインタビューを読むと、結果を出すためにプロセスにこだわっています。プロセスに集中するということは、「金賞とりたい」と思うことではなく、「あそこをこう弾きたい」という意識を研ぎ澄ませていくことです。納得いく結果とは、納得のいく「賞」ではなく、納得のいく「演奏ができたかどうか」です。
なのに、どうして「賞」にこだわってしまうのか。
自分では、納得のいく演奏ができたかどうか、判断する耳が足りないからです。
聴く力の不足。
思うような賞がとれるかどうかは、もともとの才能、受けた教育、練習環境、準備、課題曲の選びかた、当日のコンディションや他の参加者との絡みなど、たくさんあって複雑な因果関係が形成されていることが予想されます。
ですが、大きな理由、しかもなかなか指摘されない重大な理由、そして、簡単には変えられないけれど重大な要因のひとつとして、聴く力が足りない可能性をあげておきたいと思います。
そして、「どこどこ大会に行く」ではなく、「こういうふうに弾く」というふうに、「賞」ではなく「演奏」に意識のフォーカス地点を変えてみることを提案したいと思います。