読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

セミナースケジュールはこちらです。 山本美芽オフィシャルサイト

「見ないだろう」というのは甘い

ブログの作法

 これは私の数少ない自慢なんですけど、インターネット日記歴は長いです。
 99年から続けているので、足かけ8年。

 長くやっているからこそいろいろ失敗もしてきました。
 一番いま気をつけているのは、「どうせこれを書いても本人は見ないだろう」といって他人のことを安易に書かないこと。
 自分の経験から言って、これは危険なので、絶対やらないようにしています。
 どんなことでも、本人、ご家族、友人知人に読まれる前提で、本人に向かって話すつもりで書きます。
 

 また、人をほめるのであっても、書き方によっては暗に「この人はこんなふうに良いのに、なぜあの人はそれができないのか」と受け取られることも充分にあります。どう思われても構わないのならともかく、リアル生活と同じレベルの配慮をするならば、他人について書くときは、ものすごく神経がいります。

 自分は、本人に面と向かっていえないことは、書かないようにしている。
 
 これは、ずっと以前にライターの大先輩の熊谷美広さんがおっしゃっていた言葉で、私も、それ以来、「本当にその通りだ」と思って、その戒めは守っています。
 私は、「21世紀へのチェルニー」で、恩師の教え方について否定的な意見を本に書いて出していますが、これは恩師ご本人やご家族と会って冷静かつ自信を持ってそれだけ話せる材料があるので、自信をもって書きました。
 
 最近は、ブログとミクシィが普及して、急速に日記を書き始める人が増えたと感じています。

 以前は若い人ばかりで、40代以上は少なかったのに、40代50代、60代まで当たり前のようにネットを使い始めているし、若い世代は、パソコン音痴な人でも、とりあえず道具として持っている、使っている。

 その結果どうなるかというと、「匿名」で書くのが、ますます難しくなるということです。ミクシィの日記だと、もうほとんど匿名とはいえないし、ブログだとコメントをもらうのが面白いのに、匿名だとリアル友達からコメントがもらえないから面白くない。

 結局、ハンドルネームを名乗ってはいても、それが誰なのかは見る人が見ればわかってしまうご時世になってきています。だから、誰もがリアルな自分をさらして、責任をもってネット上で文章を書かざるをえなくなってきているのです。
 
 不平不満、やりきれない気持ち、怒り、絶望、悲しみ。それらをガンガン文章にしたらストレス解消になります。誰かが共感してコメントでもつけてくれようものならば、慰められます。

 でも、それが誰かに対するものなら、いつか本人の目に触れる覚悟が必要です。本人だけじゃなくて「まさかこんな人は見ないだろう」と思う人が見るという前提で。心構えがどうこうという問題ではなく、現実問題として。

 そこで私がやっている方法があります。
 それは、増幅されてみんなに知れ渡ってもいいことだけ書くことです。

 たとえば、きょう風邪を引いて熱を出したとします。熱を出してつらいとブログに書く。するとみんなが心配してくれてうれしい。でも、ブログはその人のネット上の分身でありその人のイメージそのものです。翌日にはなおっていても、風邪だったというイメージが、ブログを読んでくれた人に強く印象づけられます。

 では、熱があったことは書かないで、熱が下がってから、今日はこんな楽しいことがあったと書いたらどうでしょう。毎日充実している人なんだなというイメージを持ってもらえます。

 そう、ブログや日記に書いたことは、自分の日常のごく一部にすぎないのに、100倍にも1000倍にも読者のなかで増幅されて一人歩きするのです。だから、増幅されたくないことは、書かない。というか、増幅されたいことだけを選んで書くべきなのです。

 え、じゃあ、このブログもそうなんですかって? もちろんそうなのですよ〜! 

 具合が悪いのもスランプなのも落ち込むのもしょっちゅう。だけどそんな自分を増幅させたくない。だから書かない。それだけです。当然いっしょに暮らしている夫だとか、実態を知っている両親なんかが見ると「なんかネットの中では実態よりも立派ぶってないか」って思うでしょう。でも、私の感覚だと、ちょっといいほうにブレてるぐらいで、ちょうどいいな〜という気がします。え、じゃあ、いいほうにブレて見られるのを計算ずみでブログを書いているのかって? もちろんですよ〜!! その程度の客観性は、商売上、必要なんです(笑)。

 ブログを書いているときは、パソコンと自分だけの閉じた空間に入っているので、ついつい本音がドバーッと出てきやすい状態になっています。それはそれとして、日常生活で、他人に面と向かっていえない文句や怒りやグチを書きたくなってきたときは、要注意です。昔は私も結構グチを書いてました。「りんごは赤じゃない」を書き始めた頃なんて、赤裸々ですね。「原稿書けない・・・」「削って書き直し」「締め切りが終わらない(涙)」「風邪で寝込んだ」そんなのばっかり・・・でもないけど、多かったです、そういう記述。

 いつごろからそういうことを書かなくなったのかな。書きたいと思わなくなったんですね。今でも「原稿書けない・・・(涙)」なことはあるんだけれど、なんか、だから何? って自分で思いはじめたんでしょう。つらいことをつらいと書いておわり、は自分の美学に反するとでもいいましょうか。つらいことを通して、何かこういうことを考えたとか、学んだとか、そういう文章なら書く価値があるけれど、そうでなければ、書きたくないや、という気持ちにいつしかなってきたのですね。書いて書いてかきまくって10年、その結果として。

 いいことばかり、ポジティブなことばかり書いていればいい、というのではありません。ただ、うれしくない問題について、信頼される態度で説得力を持って語るのは、なかなか知性を要求される。ということです。裏返せば、うれしくない問題について、誰も見てないだろうという態度でなげやりに書くならば、読み手の信頼は失われるでしょう。