うちで一人で原稿を書くという作業を長期間続けることは、結構やる気の維持が大変だったりします。この前、30代の女性作家が命を絶ったというニュースもありました。彼女がなぜそうしたのか、何も知らない私があれこれコメントする資格はないでしょうが、作家というのは、やっぱりシビアな仕事です。
物書きをしていなくたって、何もする気が起こらない、というときは、必ずあるものです。以前は、そういうときに、自分がすごく嫌になってしまって、バリバリ活躍している人のインタビューなんか読んで、ますます落ち込んだりしていました。
ですが、最近は、「本来、なにもかも面倒くさい、それでいて楽しいことや面白いことには出会いたいと思うほうが自然なのだ」という確信が強まってきました。そんな都合のいいことが、かなえられるわけないじゃん。ということは百も承知のうえで。面倒くさい、の延長には死があり、面白いことに出会いたい、の延長に生きることがあるわけです。
だいたい、世の中には、生き生きとして充実してないといけない、誰かの役にたってないといけない、みたいなメッセージが多すぎる! 確かに充実してる、誰かの役に立つというのは、いいものです。だけど、それにはいろいろ動かなくちゃいけない。でも、それって面倒なのよねー。
面倒だと思うことは、正直な自分を認めることであって、わるいことじゃない。どんなことでも、正確な現状把握をすることこそ、一番の解決への近道なのだから、面倒くさいという感情を「そういうもんだよね」と自認できるようになると、いいのではないか。私など、わりと優等生系のいい子でいようとしていた時期が長かったものですから、このあたりを打破するのに、かなり時間がかかりましたが、最近になって、かなり堂々とした気持ちで「だって面倒くさいじゃん」と、明るく「ぐうたら」していられるようになり、われながら「いい傾向だ」と思っています。
やる気が起きないときは、結局、疲れているのです。そういうとき、私はできる限り寝て、ぼーっとして、おいしいものでも食べて、友達とおしゃべりするよう心がけています。とはいっても時間がないときもあるので、あとは、脳内の抗うつ薬であるセロトニンが不足しないように心がけます。セロトニンは、朝から明るい光を浴びて、リズム正しい運動をすることで増えるのだそうです。それと、セロトニンの原料のたんぱく質トリプトファン・・・かつお、まぐろなどに多いとか。そういうものをちゃんと摂取するように。なにはともあれ、音楽を「聴きたい」と思えるうちは、まだまだ「生」のエネルギーのほうが勝っているから、大丈夫。
だから、ライヴにいったりCDを買ったりピアノを弾いたりするというのは、なんだか無駄遣いというか贅沢のようなものではなくて、実はすごく大切なことなんです。