音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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斎藤守也さんのライブを聴きながら多喜先生の思い出に浸った1年前

昨年2月の斎藤守也さん杉並公会堂のライブのとき、

私は、恩師の多喜靖美先生を10日前に亡くして、

呆然としながらコンサートに行きました。

とても救われたのでFacebook に書いていたのですが

なんか動揺していてブログに上げるの忘れていたみたい。もしかしてどこかに書いたかもしれませんか。

この日はSHINRAとSHINEの初演でした。

 

 

 

ライブに行って、静かな曲でいろんなことを思い出して
その世界に浸る時間は、自分にとってかけがえのないもの。

昨日は、斎藤守也さんが弾く「いつかの空」を
ベーゼンインペリアルで聴いたからか、スイッチが入ってしまった。
この曲はこれまで毎回スイッチが入る曲ではなかったんだけど

1カ月ひきこもってコンサートの準備をしていた守也さんのパワーがすごかったということか。

音に浸って浮かんでくるのは、ふと一人になって空を見上げたときに
考えることとだいだい同じ。

今の私が考えるのは、1月30日に亡くなった私のピアノの師匠、多喜靖美先生のこと。

先生には、8年間ピアノを習って、たくさん曲を聴いてもらった。

いまでこそ人前でセミナーで演奏しているけれど
先生のところにはじめてレッスンに行ったときは、チェルニー30番を間違えまくっていて中学生の頃ぐらいまで指の感覚が退化してしまっていた。
そこから何年もかけてじわじわと育ててもらって、
なんとなく弾けるようになってきて、
そんなときに斎藤守也さんに仕事でお会いして、お手伝いをすることになり、
楽譜がある守也さんのオリジナルを全曲弾かなければ書く資格はないと思い、
練習し始めてから、毎回レッスンでみてもらった。

斎藤圭土さんのBoogie Back to YOKOSUKA も、先生には一緒に弾いてもらった。
いつもレッスンを一緒に受けていた息子は、
私のレッスンの間はゲームに熱中しているのだけど、
あのときだけはびっくりしたように演奏を聴いて、
「先生、スゲー、初見で弾いちゃうの? 神だ」と、叫んでいた。
自分が神に習っていることを、そのときまで息子は知らなかった。

先生は、守也さんのことはまったく知らず、演奏も聞いたことがないのに
先生が初見で弾いてくれた守也さんのオリジナルは、ライブに通いつめて必死に練習した私の演奏と、比較にならないほど素晴らしかった。

譜面から音楽を読み取る、拍子感を持っている、脱力をマスターしているピアニストってすごいんだなと、改めてすごい音楽家に習っているんだと。
自分が本気になって守也さんの曲を練習したから、わかった先生の凄さ。

先生のレッスン室にはベーゼンとスタインウェイセミコンがふたつ並んでいました。
以前はベーゼン、最近はスタンウェイを毎回弾かせてもらっていました。

ベーゼンは音がいいと味わう以前に弾きにくかったな・・・
コントロールが難しくて。家で弾いたフレーズがぐちゃぐちゃに崩れちゃうの。

さすがにインペリアルではなかったけど、黒い鍵盤のあるセミコンだったから
幼稚園の頃、息子を先生のところに連れて行くと
「あとバーナム2回弾いたら、その黒いところ触っていいわよ」とかいってくださって
黒い鍵盤を弾いて、ものすごい低音に息子は大興奮していたっけ。

先生がレッスンで生徒に弾かせる楽器をスタインウェイに変えてから普段はベーゼンを
弾かなくなったのだけれど、CHASEが弾きたいからといって一度頼んでベーゼンで弾かせてもらったことがあって。
「この曲、確かにベーゼンで弾くと低音の響きがいいわね」といってくださった。

先生は2年前に病気が見つかり、入退院を繰り返しながらレッスンしてくださって
いつもレッスンのときには病気の話はしなかった。
いつも音楽に没頭していて私は先生が病気であることを忘れていた。
この曲どうしようとそればかり必死で。
私が弾き始めると先生も集中するので、忘れてくれていた。
昨年11月の最後のレッスンのときだけ、はじめて、
「腰が痛いのよね」と姿勢が辛そうだった。
それまでも辛かったのかもしれないけれど
なにもおっしゃらなかった。
とびきりの笑顔で、いつも迎えてくださった。

スタインウェイに私が座り、右手を
ベーゼンに先生が座り、左手を弾いてアンサンブルするのは
毎回のことだった。

走ったり転んだりする私を、先生のロールスロイスのような安定感で美しく進む音楽が
しゅーっと包み込んでくれて、
いつの間にか、私も先生と一緒のペースで歩みながら弾いていた。

守也さんのオリジナル「OROSHI」をレッスンに持っていったら
初見で私とユニゾンしてくださって、スタインウェイとベーゼンで
2台ユニゾンで1曲通したこともあった。

楽譜に書いていない微妙な強弱のつけ方を和声から読み取って教えてくださって
CDを聴き直したら、守也さんもそうやっていた。
なんでわかるんだろう先生…、本当にすごい、って、驚いた。

そんなことを走馬灯のように思い出しながら、「いつかの空」を聴いていた。

毎回、コンサートでスイッチが入って、思い出す出来事や、風景は、違う。

守也さんのインペリアルの響きに包まれると、スイッチは入りやすい。

守也さんのオリジナル曲をインペリアルで聴くのは本当に特別な時間。

2曲目で既にこうなっていたけれど、そのあともどんどんディープに記憶が深堀りされていくような曲、演奏が続いた。

「シャイン」という新曲を演奏してくださった。。

子ども医療センターで亡くなったお子さんのことを想って、書いた曲、ということだったと思う。

私は、そういう話を聞いてから演奏されたらすぐにウルウルしちゃう、というふうにはならない。

ピンとこないことのほうが多くて、自分の音に対する我儘さに、うんざりする。

でも守也さんのこの曲は、ピンときたというか、先生が亡くなってから10日ほど、私が背負って向き合ってきた景色そのものだった。

ホールを満たす音に、自分の意識が溶けていくような気がした。

ライブの後半になって、守也さんは、生き生きとしたリズムの曲をたくさん弾いてくれた。

いったん全部溶けた自分の意識に、すっとリズムが表れて、脈打ち始めたような感覚。

私は生きている。

生きている。

スイッチがうまく入るコンサートだと、すべてがリセットされて生まれ変わるような感覚になることがあるのだけど、
この夜は、それだった。

いつもコンサートが終わるとあれが良かったこれがすごかったと機関銃のようにしゃべりたくなるのに、

言葉が出てこなかった。

音楽は、ぜいたく品じゃなくて、必要な栄養だと、いつも小曽根真さんが言っていて、
何度もインタビューでもうかがって、原稿にも書いてきたけれど、

いま私に必要な栄養を、この日は注いでもらった。

ぼんやりとしている時間と、

「そうだ。あれをやらなきゃ」と、動き出す時間、

どちらもあっていいのだけれど

きのう、コンサートを聴いてから、なんとなく、ぼんやりしている自分が小さくなって
動いてる自分のほうが大きくなってきた。

 

 

ここまでが1年前に書いたもの。

 

5月に出たこのアルバム「ストーリーズ」にも救われてます。

 

STORIES

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  • アーティスト:斎藤守也
  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: CD