わたしは音楽ライターであり、お母さんであり、もと駐在妻であり、ピアノの先生でもあり、さまざまな役割を果たしています。
場所が変われば、普通、も変わる。
普通が意味するところは、さまざまだなと、最近つくづく思います。
私にとって、家にグランドピアノがあるのは普通。
ピアノをしない人にはピアノが家にないのが普通。
月謝の渡し方についても、新札で向きをそろえるのか、小銭ジャラジャラでも金額が合えばいいのか。
みんな自分が普通だと思っている訳です。
自分では普通と思っていても、一歩踏み出して違う場所に行くと、違った「普通」が待っている。
セミナーで全国を回ると、また、いろんな「普通」があるものです。
自分の「普通」が通じないとき、
怖い気持ちもありますが、自分の普通はあくまで自分にとってのもの、
とわきまえて忘れずにいれば、なんとかなる気がします。