音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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傍観者

 何かを作り上げる、やり続けるということは大変なことです。その困難さに比べて、できあがったものに対して、ああでもない、こうでもないとコメントするのは、無責任なくらいに苦労が少ないなあ−−と、思っていた期間がありました。

 その理由は・・・ちょっと長くなるのですが。
 うちの父は中学校で教師をしていた人です。父が昔から繰り返し言っていたのが、「何も手伝わないで、口だけああしろこうしろというやつは困る」ということでした。授業をやっていて、クラスにひとり、悪ガキがいて、その子ひとりのせいで、全体が落ち着かなくて、ものすごくやりづらい。そんなとき、ああしろこうしろと口で言うだけの同僚は、うっとうしいから、かえって邪魔。一番ありがたい同僚は、その悪ガキを「ちょっと来い」といって教室から引っ張り出して、どこかへ連れて行って、一対一でじっくり話をしてくれる人。そんなようなことでした。
 ふと気が付いたら、「手伝わないで口だけ出すような行動だけは、しないように」という考え方は、私にとってものすごく根本的なことになっていました。大学院を卒業してから、研究者にならないで現場に出たのも、そうです。現場のことを何も知らないのに、高いところから偉そうに言っている学者なんて、考えただけで腹立たしくなってきます。もっとも最近は、音楽教育の研究者に関していえば、現場への敬意をちゃんと持っていて、なおかつ偉大な業績をつみあげている先生が増えていて、大変いい傾向だと思っているのですが。
 そんなわけで、日常生活でも、ネット上でも、「う〜ん・・・口だけ出すのは簡単だけどさあ」とひとこと言いたくなることが、ときどきあるのです。
 ところが音楽ライターというのは、一見、「手伝わないで口だけ出すような」仕事です。・・・ですが、自分が本を書くようになってから、私の仕事は傍観者的に口を挟んでいるのとは違うのかもしれない、と思うようになってきました。
 これはあくまでも私の場合ですが、創作している本人は、その中に入り込んでしまっているから、真っ暗な道をひとりで歩いているのと同じで、どこへ行くのかわからない。それが客観的に見てどうなのか、判断が難しい状態になりやすいのです。
 そこでドアを開けてくれる人は編集者であり、アルバムづくりだったらプロデューサーになるのでしょう。そして、できあがったものが、いったいどうなのか? これが作っていた本人にはわからなくなっている。いや、予想はできるけれども、他人から見てどうなのか、確信が持てなくなる。果たしてこの作品に意味があるのか。もし、あるとしたら、どこがどう意味があるのか。そういう、何十年もたったら、誰でもわかるようなことを、今その場でそこをすごく広い視野から、冷静に判断してくれる人が欲しい。痛切に思いました。逆にいえば、ミュージシャンにとってのライターは、そういう存在になれるのかもしれない、と。まあ、私のようにドツボにはまらないで、すいすい創作する人のほうが多数派なのかもしれないし、かなり偏った意見かもしれませんが。
 創作されたものに対して、批判でも賞賛でも、踏み込んだ表現をしようとすればするほど覚悟がいる。そのことは以前にも書きましたけれども。結局、その覚悟を支えるのは、日ごろどれだけ真剣に本を読み、音楽を聴き、人と会い、経験を積み、勇気を出して行動したりしなかったり、考え抜いたか、感覚を鋭くしていたか、そんなことの蓄積のような気がします。
  何が言いたいのか、ちょっと論が錯綜していますが(笑)、「書く」「発言する」ということは、内容次第で単なる無責任な傍観者にも、誰かを本当に応援できる存在にも、なる。・・・それが言いたかったんだなあ。もちろん、目指すのは後者ですが、それは単に誰でもヨイショしてればいいというものでもなく、物事を深く鋭くとらえる力が必要になるので、なかなか大変だわな〜と思うのでした。なんだか長くなっちゃったなあ。すみません。