ピアノ指導者としてレッスン、執筆、講演などご活躍なさっていた益子祥子先生が12月23日にお亡くなりになりました。
しょうこ先生は、私がアメリカから帰国したばかりのセミナー初登壇だった、藤拓弘先生主催のチェルニーセミナーにいらしてくださいました。
まったく日本のレッスン業界もセミナーも訳がわからない状態で夢中で喋ったら、しょうこ先生が明るい笑顔で温かく声をかけてくださって、お話したら
60人だったか、すごい人数を教えている、と聞いて、ものすごくびっくりしたのを覚えています。
その後、ご自身の教室運営方法をオープンにしてセミナーをされるようになりました。しょうこ先生のご著書やブログはずっとチェックしていまして、
あくまで私の解釈ですが、養護学校勤務で得た学校のノウハウをピアノ教室に持ち込んで、効率化や集団の力を最大限に引き出す運営方法を確立されたと思っています。
月謝はなるべく負担なく抑えつつ、なるべくたくさんのことを指導したい、その相反するニーズを満たす工夫がそこにはありました。
私の母は、しょうこ先生とおそらく同じ時期に同じ養護学校に勤めていた時期がありました。私も1年だけですが、養護学校に勤務した経験があります。だから、しょうこ先生の「ウォーミングアップレッスン」や、お話組曲を取り入れた発表会など、養護学校の実践もヒントにしてピアノ教室向けに考えられたのだろうなと想像していました。
あくまでしょうこ先生のやり方はひとつの方向性ではありますが、街の教室が持つ可能性がまだまだあることを多くの人に示したと思います。
お教室の様子は、昭和音大に出講したときなどに事例でご紹介させていただいたこともありました。
音楽教室の仕事で食べていけない? 覚悟を持って真剣に取り組んだら食べていけるよ、と学生さん達に、伝えて欲しい、とおっしゃっていましたっけ。
しょうこ先生はシェアの達人であり、ブログで思いを言葉にする才能がおありでした。
自分の教室の拡大に専念するのが普通なのに、運営方法をたくさんの先生に教えていらっしゃいました。ブログを更新するマメさとそこにこめられた思いは、見る度に、プロライターの私もすごいなと圧倒されるものでした。
1つ荷物を届けて100円の宅急便の配達のアルバイトをしながら教室を始めてピアノを揃えるところからスタートされ、
ご自宅にホールを作ってスタインウェイを入れる、その夢を実現されたのも驚いたけど、
そこでずっとセミナーやコンサートを開催し続けたのが一番すごいと思っていました。普通はネタ切れになるのですが、どんどんアイデアが出てくる。プロデューサー的な才能があったのだと思います。
笑夢ホールには、2016年の11月にピアノ教本セミナーの講師として一度お招きいただきました。
私が喋る前に、先生方の教室の教本カリキュラムのレポート発表があり、非常に充実していました。普段教本セミナーで使う楽譜、数十冊楽器店で揃えていただきますが、しょうこ先生のお教室にはほとんど揃っていたので持参する必要もなく。ロシア奏法のテキストだけ、なかったのですが、即座に全巻購入されていました。
こうやって貪欲に勉強されてきたんだろうなと思いました。
ピアノ教育も多様化していて、もはや一人のカリスマが全部の分野を牽引するのは不可能であり、それぞれが得意分野をシェアしあう学びのスタイルに移行しています。しょうこ先生はそんな時代の学びのスタイルをリードされていました。
ご病気の様子を読むのは辛くもありましたが、
読むたびに、ほんとうに大切なものは何か
見つめ直し、やっぱりあれをやってみよう、やめようと、考えるヒントにもなっていました。
休みができると、サッと車を飛ばして温泉に行っていらしたのがカッコ良かったな。
おせち料理も凄まじい量とクオリティで見事に作っていらした。家のことも手を抜かずされていたんだなと。
そうだ、しょうこ先生とフェイスブックのやりとりで、コロッケをつくったことがありました。
「みんな喜ぶよ」って、おっしゃるから、面倒くさいのに、つい。
たくさん。ありがとうございました。