少なくとも、昭和生まれの時代には、音大に入ってピアノの先生になるには、素直に先生のいうことをきいて、いわれたことを受け入れて頑張らなくちゃとても無理だったと思います。
素直というのと、「考える」ということと、両立は、案外できるようで、ちょっと難しい。言われたことに疑問をもって「どうして?」とか質問していたら、ぜったい「素直」とかはいわれないです。
生徒でいるあいだは「素直」はほめ言葉だけれど、
ライターにとっては「素直」はほめ言葉でもなんでもない。称賛の形容詞ではありません。
では、先生にとって「素直」は?
やはり、ほめ言葉ではない気がします。
素直というのは、なんでも受け入れてみようという前向きさ、ひたむきさで、学習にはとても良い素質。
ただ、素直な「だけ」では、疑問を持ち、矛盾をあばき、問題点を解決していくことはできません。
おそらく昭和のピアノ教育で考えることはほめられてこなかった。
指づかいは、書いてあるものが絶対。チェルニーはみんな全部やっているから全部弾くのが絶対。手の形は丸くするのが絶対。どうして? 本当に? と先生に質問するのは素直でないから歓迎されない、よくない生徒。
そういう教育を受けてきたら、考える力は育っていなくても当然かもしれません。
でも、生徒を目の前にしたら、マニュアルどおりには、いかないわけで、どうしたもんだか、自分で考えなければいけない。
考える力が必要なんです。