学習の効率化を目指して作ったチェルニーの練習曲は、名曲に至る手段であったのに、20世紀の日本ではコンクールや入試の課題曲となり、それ自体が目的に変質し、チェルニーがいやでピアノをやめる人を少なからず生み出しました。そんなことになるなら無理して使ってくれなくて良かったのに、とチェルニーなら思ったに違いありません。
勉強の場として始まったはずのコンクールや発表会。まわりとの比較に一喜一憂して、やる気をなくしてしまう。
ちっとも練習してこない生徒に、なんとか一生懸命教えようと頑張りすぎて、生徒がやめてしまう。
音楽は、なんのためにあるのか、
なぜ、人間は音楽を求めるのか、
音楽がなかったら、どうなるのか、
なぜ、ピアノでなければならないのか。
目の前の問題解決に全力を尽くしているときは、手段の目的化が起こりやすいものです。
目の前の問題はうまくいった。
では、10年後、20年後、30年後それにどんな意味があるのか?
答えは存在しません。
ただ、
変な方向に向かってまっしぐらに行くことは、避けられる気がします。
山本のセミナーのお知らせは、こちら。