資料で読んだ坂本龍一さんの自伝です。これ、本としてもすごく面白かったです。
はじめは図書館で借りたのですが、保存版だと思って改めて買いました。
変わった子どもだった小学生時代、作曲やピアノのレッスンの様子、新宿高校時代には学校をさぼり、芸大に入ってからは授業をさぼり。新宿のジャズ喫茶30軒以上を高校1年の4月に全部行ったとか。それだけ読むと不真面目なように響くかもしれないけれど、別の角度から見れば、作曲家になるための超・スペシャルな環境を自ら作っていたのかもしれない。自分に必要なカリキュラムを自分で探して実践していたってことなんでしょう。
同時多発テロのとき、ニューヨークに住んでいたそうなので、そのときの話もなかなかリアルです。 大ヒットしたピアノ曲「エナジーフロー」は、苦心することもなく、さらっとできてしまって、それがヒットして驚いたそうです。逆に「ポップにしよう」と苦心したアルバムはそれほど大ヒットにはならなくて、なんだかなあ、みたいな。
作曲って案外そういうものなのかもしれないですね。
大学3年のときに油絵科の学生と結婚して、子どもが生まれて、でも相性が良くなくて別れてしまい、責任が生じて生活費を稼ぐ必要に迫られ、地下鉄工事のアルバイトに行ったけれど3日でやめて酒場のピアノ弾きをはじめた…なんて、ちょっとびっくりするような話も淡々と綴られていました。
そう、普通の人ならちゅうちょしてしまうようなことが、自伝のあちこちで、さらっと実行されているのです。このへんのちゅうちょしない感じが、独特の感性なのかも。
そして一番、腑に落ちたところ。
「表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。だからそうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います」(p18)
まさにいつも日々感じていたもどかしさが、みごとに言葉になっていました。 言葉で伝えようとすればするほどその限界が感じられて時には絶望的な気がしてくるんです。なんでこんなことをやっているんだろうって、迷路にはまった気がしてくる。でも、言葉にするというのは本質的にそういう限界を持っていて、そこで抜け落ちた、切り落とさざるを得なかったものと引き換えに、新しい翼を得る、通路ができるのですね。
- 作者: 坂本龍一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/02/26
- メディア: 単行本
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