音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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避難しなくてよさそうだ、と

地震からもう1週間以上。うちは神奈川県で被害はありませんでした。ですが、その後のいろんな展開で、なんだかぐったりしています。体調が悪いまでは至りませんが、相当神経が磨り減ったのは確かです。そんなことをわざわざブログに書く意味があるのかとも思いましたが、記録として、残しておこうかと。

まずは余震が多い。1日に1−2回、震度3とかの余震があり、ほんとうに怖いです。そのときの揺れは小さくても、大地震のときも、最初は小さくてだんだん揺れが強くなったから、「もしかして」と思いながら子供たちをつれてトイレに駆け込んでいます。こういう状態が1週間も続くと、そうなると、地震じゃないときも揺れているような感じがすることが増え
てしまい、夜、寝ようとして横になっていると、自分の脈で体が揺れているのに地震だと思い込んでがばっと起き上がってしまったりとか。なーんとなく軽くめまいがするとか。クルーズのあとも陸にあがってから船に乗っている感じが続くことはあったんですが…。

さらに、計画停電のため、スーパーが品薄、しかも停電中は店が閉まる。牛乳、米、パン、トイレットペーパーは開店と同時に行かないと買えないので買い物が一大事。しかし我が家はオール電化なので、電気がついている間に料理を作り、掃除機をかけなければならない。家の中も暖めておかないと。子どもたちがテレビを見られるのも電気がついている間だけ。洗濯や炊飯器でご飯を炊くのは、原則、夜中。

それでも、うちは一戸建てなのでまだましなほうです。うちの近所は駅前に高層マンションがたくさん建っています。停電でエレベーターと水道が止まることを考えると、外出もままならないようです。

そうやっている間に、原発の状況をチェック。ほんとうに避難しなくていいのか常に注意。地震から4日間ぐらいは、朝起きると事態がどんどん悪くなっていて、本当に恐怖でした。屋内退避になって食いつなぐためのお米とお水を備蓄しておかなかったことを深く後悔。お店に行っても品薄だからペットボトル3本と、お米1袋ゲットがせいぜい。うちは自家用車もないし、計画停電で電車も止まっていました。西日本に逃げるといってもどこへ。実家は埼玉ですから、もっと原発に近いですし。
そもそも娘の学校がまだ残っているし。

とりあえず、ガイガーカウンター放射能の値をチェックして、まだ大丈夫、とパソコンを閉じる、そんな日々が続いていました。ご主人が外国人のお友達は、マジで海外脱出する外国人が多い中、ほんとうに神奈川にとどまって大丈夫なのか、ものすごく悩んでいました。放射能が心配だからお子さんを学校に行かせていない、という外国人家庭も結構いたらしい。アメリカで同じ事態になったら日本に帰っていたと思いますから、気持ちはわかります。でもここは日本。ここ以外に行くところはないんです。

西日本に疎開した人も少なからずいる模様。自衛隊がヘリコプターで水を原発にかけたあと、幕僚長が会見しているのを見てなぜか「これで峠を越したかも」と少しほっとして、その後、消防庁の放水が始まり、ますますほっとして、結局、神奈川県に避難されてくる福島県のかたがたの映像を見て、ここから避難しなくて大丈夫だったのね、と肩の荷をおろしつつあるところです。そう、18日が誕生日だったんですが、朝から停電で、昼の1時すぎに電気がついたので急いで買い物に出て、お気に入りのケーキ屋さんに行くと、なんと8種類もケーキが置いてありました。嬉しかった。

別に体調を崩したわけでもないんですが、なんだかんだで疲労が…。避難されている方のご苦労は、どれだけのものかと思います。そして、大正3年生まれの祖母が話してくれた戦争中の物不足の話を、しきりに思い出します。

祖母はとら年生まれで、千人針で自分の年の数だけ縫えるから重宝された、と得意げにいつも言っていました。千人針ってほんとうにナンセンスというか、そんなものが何の役に立つのかとずっと思っていたのですが、今回、原発の様子をパソコンで見ながら息子の入園準備のためにいろいろなものを縫っていたら、すごく気持ちが落ち着いたのです。ああ、千人針は、残された妻たちの精神安定にすごく大きな意味があったのだなと、ようやくわかりました。