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音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

セミナースケジュールはこちらです。 山本美芽オフィシャルサイト

消費する側と作る側

ライター日誌

あけましておめでとうございます!

今年は、猛烈におせちが食べたくなり、サクラメントにある日本食材店に買出しをして、ひととおりおせちを作りました。

結婚して毎日包丁を握る生活になってからすでに10年以上経過しているのだけれど、日本にいる頃は、お正月といえば実家に行って「いただきまーす! おいしい!!!」といって食べる側。もちろんお手伝いはやってましたが、あくまでお手伝い。

もう30代も後半になって、おせちも作れないなんてどうなのよ? とは思っていましたが、去年のお正月は「自分で作るなんて面倒すぎる」といって、2−3品作って終わりでした。

しかし今年はやりましたよ。だって自分で作らないと食べられないんですから。私はどーしてもおせちが食べたかった、今年は。で、日本から持ってきたこの本を頼りに作りました。昔買った「きょうの料理」の12月号なんかも見ましたけど、結局この本の「おせち」のページが一番役立ちましたのでご紹介。

ベターホームのかあさんの味―ぜひ覚えたい伝統の和風おそうざい
ベターホームのかあさんの味―ぜひ覚えたい伝統の和風おそうざい
ベターホーム協会

伊達巻きはアメリカだと入手困難。去年なんてサンノゼに買出しに行った人に頼んで1本1000円ぐらいで買ってきてもらったんです。
しかし! ネットで調べたら、すりつぶしたはんぺんと卵5個にみりんやお砂糖を入れてオーブンで焼いて巻けばできるらしいので挑戦。はんぺんならサクラメントでも売ってますので。
栗きんとんも、サクラメントで栗の甘露煮の瓶詰めとさつまいもをゲットしたからそれで作れる。なます、きんぴら、甘く煮たお豆、さといもやれんこんの煮物、お雑煮…30日から、まなじりを決して、作りましたとも。

だし、しょうゆ、砂糖、みりん。また砂糖。みりん。げっ、こんなに砂糖使うんだ。今度はお塩。これは下ゆで、これは皮をむいて。しょうがも入れる? はいはい、省略しないで入れないと。ぶつぶつつぶやきながらひたすら作りました。

いやはや私と同年代の主婦のみなさんは、みんなすでにやっていることでしょう。しかし私は、おせちに関しては完全に「食べる側」だったのが「作る側」になって、ある意味革命的なお正月でした。作り終えて重箱に詰めたときの達成感といったら!!!「伊達巻きやきんとんまで作った私ってすごいかも!!」と、できた料理のクオリティ以前に、作った事実に対して、自画自賛モード(笑)。

しかし、夫や娘は食べる側。「ちゃんとおせち料理の味がしてるじゃん」と感激している私に対して、夫は「なんか切りかたが大きいね」とか娘は「まあまあね」とか、クールなコメント。もちろんバクバクと食べてくれているので、一定の水準はクリアしているらしいし、まあいいんですが。

お店で売っているおせちや、ベテランのお母さんたちのおせちの域にはまだまだ到達できない。でも、材料があれば、自分で作れるぞ、というのが、今回とても自信になりました。

アメリカに来る前、私はライブに行けなくなること、そしてスーパーのお惣菜や外食がない生活になることが怖かった。それまでの私の人生は、なんだかんだいって、圧倒的に「消費する側」に位置していたのです。

今でも、たとえば着るものに関しては「消費する」ばかりで、なにも作っていないけれど、音楽と食べ物に関しては、アメリカに来てから大幅に「消費する側」から「作る側」に移行しました。

生のコンサートが近所でしょっちゅうなくてつまんない。でも家にあるグランドピアノで、学生時代にはとても無理だと思っていたショパンソナタの3番の終楽章とか、シューマンの「謝肉祭」といった曲をちびちびと譜読みして自分で弾いてみるのが、このうえなく楽しいのです。この楽しさが、ちょうど自分でおせちを作って「私にもできるじゃん!」と喜んでいるあの気分によく似ています。スムースジャズに関してはCD一辺倒で、自分では演奏しませんが、グランドピアノの生の音をドカーンと家で聴いているだけで、随分精神的に違うものです。別にたいして上手に弾けてるわけじゃなくてもいいんです。

おせちだけじゃなく、コロッケ、メロンパン、プリンも最近、自分で作りました。だって売ってないんですもん、うちの近所には。去年は車を2時間飛ばしてサンノゼに行って買出しして「おいしい」なんていってましたが、1時間あれば自分で作れることに気がついたのでした。
 でも、日本にいたら死ぬまで自分で作ろうだなんて考えなかったことでしょう。どこどこのお店がおいしいらしい、とか雑誌をめくりながら、消費専門ポジションにいたことでしょう。

音楽でも料理でも、作り手にまわらないで、「これがいい」「あれがいい」と批評しているだけのほうが楽だと思っていました。だって、いざ自分が作り手になると、すごく頑張って作って結構いい線いっているじゃんと思っても、上には上がいて、まあそこそこできればいいほう、現実はそんなものです。普通はね。

でもですね、作り手(弾き手)になれると、コストが安く、いつでも自分の好きなときに、生の音楽、食べたいメニューにありつける、というメリットがあります。

そのこと自体が、自分を支えてくれるゆるぎない自信になるんです。

消費するだけでなく、演奏する側、作り手にまわるのは、怖いことです。誰もが必ずしも演奏する側、作る側にまわることはできないかもしれない。

でも、作り手になるというのは、批判を浴びようがなんだろうが、すごく誇らしいものなんですね。おせちがひととおり作れる自分!! と思っただけで、なんだかすごく誇らしいんですもの。世間一般の味の偏差値でいけば普通かもしれないけど、それでもいいんです。作ったというだけで、もうリングにあがっているんです。

おいしいだのまずいだの消費しているだけで作れない人は、作り手にまわったら、一番下っ端、リングにもあがっていない存在なんですから。やっぱり作る人は偉い。音楽だってそう。たとえ下手でも、演奏する人、曲を作る人は、やっぱり偉いのです。作り手になるのは、すばらしいこと。だから、「どうしよう」ともし思っているのならば、一歩を踏み出す価値は大きい。最初はド下手のどうしようもない結果になるのが目に見えていても。

もちろん作り手になれなければ人生つまらないのかといえば、「おいしい」といって食べてくれる人がいないと作りがいがないのも事実です。音楽でも「いいね」といって聴いてくれる人がいないと演奏する甲斐がない。消費する人の存在も、作り手には大切です。

消費する側になるのか、作る側になるのか、それはその人しだい。そして、作り手といっても、自分や家族のために細々と作るのか、それともお金もをもらってプロとして作るのか、いろいろ段階はあるものです。でも、それぞれのポジションに応じて、誇りを持ち、作り手になることを怖れないでいきたいな、と感じたお正月でした。