音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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就職には役立たない前提で音楽を勉強する?

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実
ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実
B.エーレンライク, 曽田 和子

今年読んだ本のなかで、けっこう読み応えがあったなと思うのがこの本です。

日本でも話題になっているサブプライムローン問題、実はカリフォルニアの郊外の住宅地の我が家だって、ご近所は銀行差し押さえの抵当物件ばっかりです。うちの近所を2−3分歩くと、抵当物件になった一戸建てが7−8軒ごろごろしてます。うちは駐在なので借家ですけから、関係ないといえばないですが、目と鼻の先にローンが払えなくなって引っ越した人の家がたくさんあるのは事実です。クリスマスのイルミネーションが華やかに飾り付けされた家並みのなかで、抵当物件の空家の前だけはぽつんと暗いのです。

サブプライム問題と、このニッケル・アンド・ダイムドは直接関係あるわけではないけれど、でも、CDを聴いたりピアノを弾いたりするささやかな音楽の安らぎだけに満足していて、こういう陰の部分を見ないようにしていると、ずぼっと落とし穴に落ちそうな気がして、チェックしています。

格差本は日本で流行になっているみたいですね。私としては、昔からピアノのおけいこ業界に存在していた「音大のピアノ科に行けたらすごいわよね」「やっぱり基礎からきっちり、チェルニーもきっちり、ハノンもきっちりやった子の演奏は違うわよね」みたいな暗黙の、というか半ば自動化した意識をもう一度よく考えるための土台として読んでいます。

かつて私がチェルニーもハノンも我慢して練習したのは、「きれいに弾けるようになりたいから」というのもありましたが、「音楽の先生になって、毎日好きな音楽に囲まれて生活できるようになりたい。そのためには大学受験を突破しなければ。へろへろした指では大学で音楽は専攻できないんだ。だからがんばらなくちゃ」と歯を食いしばっていたのです。

結果として、そのときの我慢と若干の努力はいちおう現在につながっているわけですが、しかし果たしてチェルニーやハノンを使った・・・別にチェルニーやハノンだけでなくてもいいんですけど、楽しいだけではすまないピアノの訓練的な部分を、どこまで頑張って、どこまで我慢して、子どもたちにやらせるべきなのか?

音大に入れるぐらいの演奏ができるというのは非常に価値がある贅沢なことで、すばらしいことです。ただ、卒業してからその演奏技術を生かす場はあまりない。音楽で生計をたてることにこだわると、ピアノが置ける部屋を借りて一人暮らしすること自体むずかしい。

こういう未来を知っていると、今日は練習するのめんどくさいと文句をいう娘にピアノの練習を長時間やらせようとか、家でなかなか練習できない生徒さんに「ちゃんと練習してきて!!」といって怒るだなんて、できなくなってしまうんですよね。

だって、プロ中のプロになって困らず食べていける一部の才能がある人というのは、そんなに「練習しなさい」と言われなくても叱られなくても、異様な興味を示してピアノにかじりついて、普通の子が1年かかる本を1週間で譜読みしちゃったりするんですから。

まあ、プロになった人でも、お母さんがお尻を叩いて練習させていたケースは多々あるんですけどもね。

異常な才能と執念と関心があってほかの道に進めないような子が、音楽の道に進むべきで、そうでない子は、あくまで趣味として極めればいいんだろうなと思います。でも趣味だから下手でもいいじゃんでは面白くない。趣味なのにこんなに弾けちゃうなんて、というほうが楽しい。

…というようなことを考えるバックグラウンドとして、ワーキングプアやら格差社会の現実は、やはり知っておいたほうがいい。そもそも日本では、ピアノを家に置ける家に住むための収入ラインが低いわけではないですから。結局、ピアノだけでなく勉強もしっかりやって、ある程度の収入が得られるような仕事につくまたは夫を見つけるなりしないと、ピアノのある家に住めない。趣味としてピアノを続けるための生活ラインの確保が、実はかなり厳しい。

そういう前提で子どもたちにピアノを教えていくとすると、やっぱり勉強第一で、ピアノはとにかく短時間で楽しく上達できる方法が求められるということになってくるんでしょうか。それと、もっとCDを買ってコンサートにばんばん行って、アーティストの才能を楽しむ習慣をつくってあげるということになるのかな…。いずれにせよ、「難しい曲がばんばん弾けるほうが偉い」「音大やコンクールに縁がある子がすごい」というふうに無意識、自動的に考えるのは的外れな時代に突入していることだけは確かだと思います。

もちろん、普通の子たちがピアノのおけいこに割ける時間が減ってしまっている分も、才能のあるお子さんは、みんなの宝として大事にしてあげたいですね。というか、趣味でもいいから、短時間の練習でもいいから続けられるお子さんというのも、じつは宝なんですよね。