音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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自分の本vs依頼原稿

 チェルニー本のダイエット的書き直しも100枚ぐらいまで来ました。はー、なんだかもう、新しい原稿は、原型をとどめてない。麻婆豆腐をつくっているとき、白くて四角くてつやつやしていた豆腐が、なべにいれて混ぜているうちに、別の物体のように崩れていくのですが、書き直し後は、あれぐらい原型をとどめてない感じです。
 「単調な作業には昼寝をとりいれたほうが効率がよい」と今日の新聞に書いてありましたが、ううう頭はフル回転ながら、体の使い方としては、まさに単調な作業。夕方になって接骨院に行ったら、背中を押してくださった先生が「疲労物質がたまってますねぇ〜・・・」とおっしゃる。なにそれ(絶句)。なんでも、疲労物質がたまっていると、指先に何かがはじける感覚がするのだそうで。しょぼい、しょぼすぎる三十路の夕暮れ。でも、指圧をちょこっと受けたら、わりと元気になりした。

 おばあちゃんになったら、こんな簡単に復活できなくってよ!! と、自らに喝をいれつつ、車で帰りながら、「ROMANTIC CITY」など聴いたりして。う〜このブラスティックでスネアを叩く音が・・・。(←ほとんどドラムの音フェチ)。ソプラノもいい〜。アコギもいい〜。ピアノソロ・・・クールでため息の出そうな、だけど熱い何かも秘めていて、は〜ほんとこういう気分だよな〜とかぶつぶつ考えながらボリュームアップ。カーステには「NEW-S」「MINT JAMS」が入れっぱなしです。飽きたら変えよう、と思いつつ、もうずーっとこの2枚。なぜか飽きないんだよなあ・・・。それどころか、体調や気分での聞こえ具合の変化を自分でモニターするのが面白かったりして。感覚としての尺度をつくるという意味では、ひとつの方法かもしれない、と最近思ったりしています。要するに面倒くさがりなだけ、なんだけど(笑)。
 
 自分の本を出すというのは、今も昔も大きな目標のひとつであることに変わりはありません。ですが、自分のプロジェクトって、誰からも頼まれてないし、やらなくても誰も困らないんです。しかも、圧倒的に儲からない(笑)・・・いや、正確にいえば儲かるかもしれないけれど、回収できるのが、かなり先になる。当然それまでは持ち出しです。
 それに比べると、依頼原稿というのは、媒体も、字数も、内容もあらかじめリクエストがある。締め切りはしんどいですし、期待に沿えるように頑張らなければいけません。それでも、書いた原稿は雑誌という大きな舞台に載せて、多くの人に読んでもらえる。実にありがたいものです。
 だったら依頼原稿だけやってればいいじゃん、といきたいところですが、それでも自分の本にこだわるのには、わけがあります。もちろん、書きたいから。伝えたいから。それにプラスして、自分のプロジェクトを作品として世に出すと、「そういうのを書いている人」だと世間から見てもらうことができる。やっぱりアマゾンの検索で著書がひっかかったり、プロフィールに「著書 なんとか」って書いてあるインパクトって、大きいんです。著書を出すってことは、「自分は、こういうことをいつも考えてます」っていうアピールになる。そうすると、依頼原稿の幅も広がるというものです。

 最近ふと思いましたが、ミュージシャンの場合も、これに共通する現象があるようなのですね。自分名義のアルバムやCDを出すのは、自分の本を出すようなものなんだなーと。それを思うと、しょぼすぎる〜なんて言ってる場合じゃないな、うん。なんとか気合いれて、まとめなくては。絶対、今年の秋には出すんだもんね。