そして、ここがアルビッツィ通り。ドゥオーモから歩いて五分もかからな
かったような気がします。
観光客よりも地元の人が数多く歩いていて、お店なども
食料品や、若い人向けの雑貨屋さんなどがある通りでした。
お店に混じって、マンションの入り口らしき立派なドアも、通りに
いくつも並んでいました。1970年代に、スペイン人チェリストの夫
カサドと一緒に、ここに住んで、石畳を歩いて
市場に買い物に行き、世界中から訪ねてくる音楽家をもてなし、
毎日暮らしていたんだ…。 原智恵子っていうピアニストは…。
こんなところに、ずっと暮らしていたなんて…。
イタリア語もフランス語も話せて、ピアニストで、世界的
チェリストが夫で。だけど夫は亡くなってしまって。
大正3年、日本に生まれながら、そんな人生を送った人がいたんだ、と
思うだけで、何か胸がいっぱいになってしまいました。
六本木ピットインにも近い飯倉片町に、有名な「キャンティ」という
イタリアン・レストランがあります。智恵子先生のご主人が
レストランを始めたのだそうで、キャンティの
コックさんも、よくフィレンツェの智恵子先生のお宅に
出入りしていたそうでした。
キャンティといえば、それこそ智恵子先生のあとに川添さんと
結婚された川添梶子さん! 彼女が生きていた頃の話が
「キャンティ物語」という本に詳しく出ていましたが、
当時の日本にとってまったく最先端で魅力的だったイタリアの文化、
その導入を現地から支えていた存在として、智恵子先生の力は
きっと大きかったんじゃないかな、なんて思いました。
話は飛びますが、来週、日曜日の9時からテレビで原智恵子が
取り上げられるとか?? 楽しみにしているのでした。