音楽センスを伸ばしたい!

音楽ライター山本美芽による、ピアノレッスンに関する取材日記です。

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きょうは父の日 (1)

 1960年代に、日本じゅうを公演してまわっている劇団がありました。
 その劇団には、アコーディオン弾きの若い男がいました。劇中にはさまざまな音楽を使うのですが、すべて伴奏は彼がアコーディオンで弾くのです。役者が歌って踊るときの伴奏もやります。ロシア民謡からシャンソン、日本の民謡まで、とにかく「なんでも来い」状態でした。
 もちろん、アコーディオンだけ弾いていればいいわけではありません。公演前の舞台の仕込みから、公演後のバラシまで、力仕事が山のようにありました。毎日毎日ちがう街に旅して、公演して、またちがう旅に公演をします。睡眠時間は3時間ぐらいしかとれません。フラフラになりながら、ぎりぎりのところで毎日やっていました。
 男はもともと、大学の経済学部を卒業して証券会社に入って営業マンになりました。株の値上がり値下がりに一喜一憂し、お得意さまのおばあさんに「いいかい、カネは持っていれば、寝ていても遊んでいても利息がつくんだよ。よーく覚えておきな」と長い説教をされました。やがて「カネがすべて」という世界に嫌気がさしてきます。アコーディオンが弾けたこともあって、証券会社を辞めて劇団に入ることを決めたのです。
 息子が会社を辞めるときいて、父は激怒しました。証券会社に入ったのをとても喜んでいたからです。勘当を言い渡されました。
 そんな思いまでして入った劇団でしたが、男はやがてアコーディオン弾きとしての才能に限界を感じます。一生アコーディオンだけでやっていけるのか。そう自問しつづけて、ついに、男はアコーディオンを、劇団をやめる決心をしました。
 「やめます」と言って「はいそうですか」と仲間に送りだしてもらえるはずがありません。夜逃げするしかないのです。たいせつな荷物は前もって運び出し、その日の朝早く、男は劇団の宿舎から逃げてきました。誰にも別れを告げずに。ひとりの女の子が追いかけてきました。名残惜しかったけれど、男は振り切って逃げました。